ダイアメイドについて
森の外は異国だから、出てはいけない。森の外にいる蛮族は危険だから、出てはいけない。そう言われて育った。
実際にそうだった。森の外は神が支配していて、奴らは妖精を死神だと言う。言葉も違う。そして何より、みんな髪の色が変だった。
「ダイアメイド……ミールハックリン?変な名前」
森を出て最初に出会った子供は、俺の赤毛を珍しそうに眺めながら、そんな事を言った。そいつはラケシス・アラステアと名乗った。お前の方が変な名前だろと思ったが、同席していた彼の兄とやらにしっかり鉄拳制裁を食らっていたので俺の出る幕はなかった。なかなか見どころのある兄貴である。顔はちょっと、怖いけど。
こいつらの父親――カニンガム伯爵に連れられて、この国の北端に位置する森から、中部のランミュルまで遠路はるばるやってきたのは、この屋敷で伯爵家のホールボーイとして働くためだった。そう言えば立派なことのように聞こえるが、6歳の子供にできることなんてたかが知れている。要するに雑用係だ。何故こんなことになっているのかについては話すと長くなるから割愛するが、仔細を省いて言うと、俺は売られた恩に縛られているのだ。
ラケシスに連れられた先で出会った少女は、名をミリセントと言った。やっぱり変な名前だ。彼女はこの屋敷の管理を預かる家の娘で、俺と同じように雑用係を任されていた。
「ねえ、森の人って悪魔と魔女の子供なんでしょ。何か魔法使ってみせてよ」
これが、少女ミリセントの第一声だった。揃いもそろって最悪な連中である。
「はあ?蛮族って本当にバカなんだな。悪魔とか魔女とかマジで信じてんの?終わってんだろ」
ミリセントは丸い目をぱちくりさせると、「ばんぞくって何?」と聞き返した。
「野蛮な連中のこと。森の人のこと」
そう答えたのはラケシスだった。しっかりと悪意が込められている言葉に、俺は鼻で笑ってやった。
「ああそう、自己紹介ありがとよ」
すかさずそう返せばラケシスは紫の瞳で静かに不服を訴える。変な色の目だ。うねうねとした金の髪も奇妙極まりない。もう一言二言なにか言ってやろうか、そう思ったとき。ぐうう、と腹の虫が大声で鳴いた。そういえば、移動続きで朝から何も食べていなかった。ああ、俺ってどうしてこう、格好つかないかなあ。そう自身の腹を恨めしく睨んでいると、ミリセントが弾けるように声を上げた。
「森の人も、お腹がすくの!?」
「当たり前だろ、だからあいつらは動物の生き血をすすってるんじゃないか」
とは、ラケシスの大真面目な大誤謬。もはや目眩がする。こいつらには一から十まで俺という人間を説明してやらないといけないのか。
「あのなあ……森に住んでたって腹は減んの!生き血を啜るだあ?お前らバカじゃねーの!?発想が古代止まりなんだよ!」
怒りを通り越して呆れが勝る。森の外の連中っていうのは、どいつもこいつもこうなのだろうか。ラケシスの父と兄は俺を色眼鏡で見なかったが、その息子かつ弟のこいつといったらどうだ。あの兄貴とは何か教育の差でもあるとしか思えない。
「じゃあ、これ食べる?」
ミリセントが楽しげに、エプロンのポケットから丸いパンをひとつ差し出した。黒くて酸っぱいにおいがするそれは、少し硬かった。
「なにこれ、お前らこんなもん食ってんの?」
「失礼なやつだな。下働きのくせに」
「へーへー、そりゃ失礼いたしましたね坊っちゃんや」
いがみ合っている俺とラケシスを気にも留めず、ミリセントは話し続ける。こいつはこいつで厄介だな、と思った。
「これね、パンって言うの。おいしいわよ」
俺がパンも知らない野生動物か何かだと思っているらしいミリセントは、小さな手でそれをちぎってみせると、さあ食べろとばかりに俺の口元に近づける。
「いらない……」
思わず後ずさって、間違っても口に入らないように顔ごと背けた。無闇にちぎられたことで、独特の酸っぱさが更に強くなった気がする。
「じゃあ何なら食べられる?子供の目?それとも心臓?」
そう問うラケシスは面倒くさそうに、それでも言えば用意しそうな声音であった。
「お前にそれを吹き込んだやつを俺はぶん殴りに行きたいよ。この時期だったら、そこらに生えてるベリーとか、硬くないパンとか」
いまだに例のにおうパンをこちらに差し出してくるミリセントの手をやんわりと退かす。
「ふーん。普通だ……」
「だからそう言ってんだろ」
もし、屋敷にいる他の連中もこいつらと同じ思想なのだとしたら、俺の食卓にはいったい何が並べられるのだろうかと、今日の夕食に対する不安が募る。そうだったら本当にもう、ひとりでも何日かかってでも、森に帰ってやる。再び俺の腹が空腹を訴え始めたとき、ミリセントがぱっと目をきらめかせて言った。
「そうよ!ごはんの時間はまだだけど、もうお茶の時間だわ!行きましょ!」
「あ、そっか。パンはないけど、硬くないスコーンがある。スコーンっていうのは、ええっと……黒くなくて……とにかく、ああいうパンじゃないやつ。もっと柔らかくて、もっと甘いやつ。森の人はそういうの食べられそう?」
森の中にもスコーンはあるが、やはり彼らはそんなものはないと思っているらしい。ラケシスの絶望的な説明に、もはやこいつの頭の具合が心配になる。
「その“森の人”っての、いい加減やめてくんない?」
「じゃあ、……ごめん、なんだっけ?」
そこそこの間を設けてから問うラケシスに、最初にひとの名前をどうこう言いながらもう忘れたのかと内心で毒づく。こいつ、友達できないタイプだろ。
「ダイアメイド・ミールハックリン」
「長い」
「お前に言われたくねーよ」
間髪入れずに言い返してやると、私のはミドルネームだからお前のとは違う、などとよく分からないことを言っていたが、それは無視した。
「ラケったら記憶力わるいんだあ。じゃ、ダイアメイドだからダイアね」
飽きもせずいちいち舌戦を交える男二人の手を引いて厨房へと向かうミリセントは、ひとりだけずっと楽しげだ。
「変な名前……」
「お前に言われたくねーよ!」
夏の終わり、すなわちハロウィンが来るまでの間に、俺はこいつを殴らずにいられる自信がない。屋敷の中で頭がおかしいのはこの二人だけであってほしいと願いながら、石の廊下を蹴っていった。大好きなブラックベリーのジャムを持って来るべきだったなあ、と思いながら。